閉塞

9日目

就労をしてから1週間と2日が経った。もっとも、まだ研修期間のごく最初の部分を消化したに過ぎないから、労働者としてはまだ何もしていないに等しい(と、諸先輩方には言われるのだろう)が。

内定式や入社式のときは同期たちの姿は何かこぞって自分の社交性を誇示する競技でもやっているように見えて、私はそれにどうにか追随するだけですっかり困憊してしまうような状態だったけれども、幸いにして、連日顔を合わせるうちに、どうにかその中でも比較的力まずに過ごせる空間を見つけられるかもしれない、という展望を見出しつつある。

そうやって「普通」になっていけたらいい。

 

閉塞

研修の合間に同期が「本当はこんな所には来たくなかった」とこぼしたのを聞いて、にわかに閉塞感を感じたりしている。

この会社の初任給は平均と比べるとずいぶん高いし、相応に優秀な人たちが集まっているように感じるけれども、その先の賃金の伸び幅は小さいという話をしきりに聞くから、これから優秀な人から順に職を転じていくことになるのだろうかと思う。

さて自分がそれに倣うことができるかどうかと考えてみると、私は決して自分が劣った人間だと思ってはいないが、それはそれとして私はうつで、不眠で、社交不安障害で、その結果としてこれまでに退学、浪人、留年などの実績を重ねているから、より良い場所を探すどころか、今の席にしがみつくので精一杯になる蓋然性が高いように思う。

どういう身の振り方をすればいいかな。強みを活かすことを考えるならば、たとえば海外事業に手を挙げて、「イギリス語ができるエンジニア」としての実績を積んだりすれば、なにか良いオファーを得る足がかりになるかもしれない―私の肉体と精神がそれに耐えうるかは別として。

 

所感

とりあえず、毎日定時に帰ることができる限りにおいては、フルタイムワーカーとしてやっていくことができるような感触がある。日に1時間程度の残業ならば、まあ、なんとかなるかもしれない。それ以上は……、どうかな……。

旧世界より

転居

就労に伴って住宅補助を受けられるようになったので、横浜を離れてみることにした。

研究室のリモートでの会議が終わったあと、すぐさま必要な荷物を段ボール箱に詰め込み、翌朝には赤帽の軽トラックにそれら一式を載せて、運転手の語る反動思想を聞き流しながら首都高速湾岸線を東へ向かった。すべての荷物を搬入してもなおいくらかの余裕がある部屋を雇い主に充てがわれている自分との、いくばくかの社会階級の違いを感じた。

転居も一人暮らしも初めてではないから、これといった緊張や不安を感じることもなく、Discordで「引っ越し飽きたあ!」などと叫びながら粛々と生活拠点を移動するための作業を済ませた。人からまとまった金額を借り受けたため、一挙に家具や家電―旧居にはまともなものがあまりない―を自分好みに新調することができ、満足している。

「理系院生は社会人よりも忙しい」などの言説はまったくの眉唾ものだと思っているが、それはそれとして、就労とそれに伴う生活の変化に対しては絶望よりはむしろ希望のほうが大きく感じている。求職では専攻分野との関わりがあり、かつ自分の経歴から望みうる上限に近い職業に内定したし、これからはいままでの2倍くらいは月の生活費を用意できる見込みであり、そうした物質的な豊かさを楽しみに思う気持ちも大きい。とはいえ、最初に過大な期待を持つようでは当然にその後に実際との落差に苦しむことになるから、少なくともそのときに自分がうまく受け身を取れることを願いたいと思う。

 

修了

3月末で大学院を修了する。学部から数えて足掛け7年間在籍した大学を去るわりには、意外なほどに感慨がないのは、修了をもってただちに研究室やサークルとの接点がなくなるわけではないと思っているからかもしれないし、あるいは私が歳を取り、環境の変化に対してある程度鈍くなったからかもしれない。

あ、でも、学籍がなくなるのと同時にAutoCADMATLABが使えなくなるのはけっこう困るな。

学位授与式の日に、研究室の後輩が修了祝のプレゼントを手渡してくれたので、とても嬉しかった。中にはちょうど私がほしいと思っていた臙脂色のネクタイが入っていたので、いつの間に好みを把握されていたのだろうと非常に驚いた。もっとも、人からの贈り物というのは、それ自体の使用価値ではなく、それを通じた祝意の表明などといった精神的な意味こそが大であるから、それをしてくれた後輩には真に感謝したいし、少なくとも自分がそれに値する存在と見てもらえるだけの振る舞いをできていたことを励みとしたいと思う(ここに続けてたくさんの自己卑下を書き連ねることもできるが、不毛なので今回はやめておこう)。

 

旧世界より

今は、いくつかの忘れた荷物を持ち出すために、横浜の家に戻ってきている。

この家には一時は祖父、祖母、犬、私の4者が暮らしていたが、祖父がいなくなり、犬がいなくなり、そして祖母がいなくなって最後に私が残ることになった。私は家というのはそこに住む人が本質であると考えていて、それを除いた物質的な側面だけを捉えたとき、私はアルミ単板の掃き出し窓から吹き込む冷気や、勝手口の外に置かれた二槽式洗濯機を凍えながら回すことなどにずいぶん辟易していたから、それには大した愛着がないと思っていた。けれども、橋頭堡を建設するために知らないマンションのがらんどうの一室に半日ばかり滞在すると、無性に家に帰りたくてたまらないという気分になったから、なるほどこれも、ゴーリキーの書くところの「幸福は手に入っている時は常に小さく見える」というものだろうかと、手垢のついたような思考をするのであった。

家主の相続人がなにか言ってくるまでは旧居にも滞在できる見込みであるし、幸か不幸かいまだに誰が相続をするのかさえ決まっていないから、当面は拠点機能を維持して、庭の花木や睡蓮鉢のメダカの面倒を見るために定期的に戻ってくるつもりでいる。

とはいえ週末しか滞在しない家のために固定費を払い続けるのは負担が大であるから、最低限のインフラを残してほかは解約する予定である。インターネットの固定回線も、3月末日をもって解約するための手続きを済ませてある。したがって、このポストが旧居の固定回線を通じて投稿される最後の書き込みということになる。